restart3210の雑記帳(R)

ヤフーブログから引越しして来ました

俺は障害者(1)

1961年3月に北海道は旭川、街中のとある産院で産声をあげました。
早産だったそうで、すぐに保育器に入る措置が取られたのですが…
昭和36年当時は医療・機器など充実しているはずもありません。
 
その産院でも保育器の数が不足し、1台に2人の新生児を収容。
おそらく酸欠状態に陥ったのでしょう。 かなりの高熱を発して、
慌てた医師が看護婦に「母親の病室へ」子供を戻すことを指示。
保育器に入れられた未熟児の我が子が、わずか3日で枕元に
戻ってきた…。 不審がる母への説明も全く無かったそうです。
 
病院側は問題になるのを恐れたのか、一週間で退院の許可を。
「風邪気味です」とだけ告げられ、帰宅してから検温したら40度!
すぐに両親は部屋を暖め、寝ずの看病を必死にしてくれまして、
どうにか一命を取り留めたのでした。 諦めず献身的な看護を
してくれた両親には、いくら感謝しても足りるものではありません。
それでも心の中では“ありがとう”を、繰り返し呟いているのです。
 
ずっと後の話ですが、その街中の産婦人科はいろいろと問題
(今でいうところの医療ミス)を重ねて起こし廃院になりました。
 
我が子が障害を背負っている事実を、両親が知らされるのは
まだまだ後になります。
 
                                 -つづく-