restart3210の雑記帳(R)

ヤフーブログから引越しして来ました

俺は障害者!(2)

首の座りが悪い,ハイハイが出来ない.発声が不明瞭….
3歳を過ぎて,これだけ発育に支障があれば親も焦ります.
市内の個人病院数ヶ所で受診したのですが判明しません.
最後に受診した市立病院で「脳性小児麻痺」の診断が
下されます. 両親の受けたショックは想像出来ません.
 
父が理容師で母が美容師,住宅の一階に理容と美容の
店舗スペースを設け,あとは台所とトイレを. 二階は茶の間・
祖父母の部屋・両親の部屋・見習いさんの部屋などの住居
スペース. それに屋根裏部屋もありました.
 
こういった仕事なので,いつも子守りが出来るわけがなく,
祖母・女性の見習いさん・親戚のお姉さんなど,多くの人に
子守りをしてもらったそうです. 当の本人は記憶に残って
おりません. ありがたい事なのに.
 
この時代は障害児を好奇の目で見る人が大半. 
情報が少なく,子供に接する機会も僅か…子の親も好奇の
視線や,障害児の偏見から我が子を守るために,あまり
屋外には出さない風潮でした.
 
しかし自分の両親は違い,店の休業日に色々な所に連れて
行ってくれたのです. デパートの屋上遊園地旭山動物園
常盤公園・当麻の鍾乳洞など. 時には高価なブリキの玩具を
欲しがり, お菓子で気を逸らしてもダメ…根負けし購入させた
駄々っ子ぶりを発揮. ほとほと困ったと今も言われます.
 
そんな昭和39年のデパート催事場,母の背に負ぶさり,自分が
抽選箱の中から掴んだ三角クジ…周囲が急に騒がしくなります.
驚きながらも嬉しそうな両親, ワケ解らず唖然とする幼い自分.
当時は高価で簡単に買えない,「東芝」の真っ赤な掃除機を
見事に引き当てたのでした. 何か“持っていた”のでしょうか?
 
昭和41年に諸事情から, 他の場所に店舗兼住宅を建てます.
両親と自分, 家族三人の生活が新たに始まりました.
 
 
                              < つづく >